大学院を修了したので大学生活を振り返る

あ~

この後おなか崩壊しました
大学院(修士課程)を修了しました。
学部のころから合わせれば4+2=6年大学にいたわけで、ついにそこから出ていくわけです。
もちろん博士課程やそれ以上のために大学に残ることもできるわけですけど、私は普通の人間なので日本人の大多数がそうするように修士で卒業してこの春から就職することにしました。
しかし、もちろんもっと長い人からすると短いでしょうけど、6年も大学にいるとなんだか感慨深いものがあります。
このブログを始めたのも、もともとやってたミニブログサービス(はてなハイク懐かしい)が終了して、新天地を探して始めた大学入学したころで、懐かしいなと思って読み返したりしていたんですけど、本当に懐かしいです(なんとか構文)。
読み返しただけで大学に入学した当時のこととかふつふつと思い出せました。
つけててよかったブログ(?)
そんなわけでせっかくなので大学(院)の思い出とか振り返って書いておこうかなって思います。
よかったらお付き合いください。
- 脱ニートしたと思ったらまた引きこもりにさせられたB1~3
もともと私は中学不登校だったり高校を中退してニートしていたりしたダメ人間だったわけですが、なんやかんやあって大学に行くことになりました。
年齢にして同世代から+3年でした。
つまり三浪…なわけですが浪人というのは高校を「卒業」した人が年齢を重ねて大学に入学する場合使える概念なので、高校を中退してニートしていた私は三浪ではないですね!
つまり謎の存在です!、あ、人に説明するときは面倒なので三浪って言ってますけど…
というわけで三浪で入学して、周りよりお兄さんか~(爆笑)とか思いながら友達出来るかな~とか勉強ついていけるかな~とか心配だったわけですよ、
で、結局学部一年生(今後B1とか使いますBは学部、Mは修士です)のうちは持ち前の人見知りコミュ障を発揮して特にサークルにも入れず友達もできず勉強についていくのに必死で終えました。
ブログ見返していると4月のアクティブさがすごいですね…
ポケモンGOにはまっていたのでいろんなところに出かけていろんなポケモンを集めていましたね。
勉強に対するやる気もすごくて、一週間に20コマくらい、はさすがに盛ったか、とにかくたくさん授業とったりして、めちゃくちゃでしたね…
いまではすごい怠け者ですけど。
サッカーの授業があって、僕がへたくそすぎてチームメンバーに嫌われまくってたのが懐かしいです。
そしてB2にあがったタイミングでコロナ渦になっちゃって、大学は登校できなくなりました。
授業がオンライン化してのんびりしていました。
ただ、別に悪いことばかりではなくて、そもそも大学から家が遠かった(実家からぎり通えたので実家通い)ので交通費や通学時間が浮いたりしてよかったです。
授業自体はグループワークとかゼミみたいなのが増えて、人と関わる機会はむしろ増えていきました。
B3もほぼオンラインで終わりました。
趣味はブログにお絵描き乗っけたりポケモンやったりモンハンやったりって感じでしたね。
それとプリコネとかウマ娘か。
あと体重増えたのでやせようとしてダンスのゲームしたり。
最近すっかり戻っちゃったのでまた始めました。ダイエット。
B1~3(2019~2021)の間はブログにも結構残ってるのでうっすい私の人生に興味がある人は良かったら見たらいいんじゃないでしょうか。
- 地獄のB4
そして、問題はB4からです。
大学生活もいよいよ後半戦。
私の通っていた大学は、B4から研究室に配属されます。
バイトやサークルなどやらなかった私にとって初めて組織に所属するという経験だったかもしれません。
B4になると所属する研究室の選択を迫られました。
僕は特にやりたいこともなく生きてきたのでいろんな選択肢の中から特にやりたいこともなく…
なんとなく天邪鬼を発揮して人気のなさそうなところを選びました。
なんか、僕の代からB4の学生を取り始めるよ!(もともと大学院生や研究員はいた)みたいな研究室で、今なら1期生になれるとか言われるとテンション上がるじゃないですか。
あとはその直前に受けたトウイックの点数が思ったより良くて、英語を生かしてなんかしたいと思っていまして、外国人の人の多い研究室がいいかなと思ったんです。
ちょうどそこは外国の研究員や留学生の方が多かったので、そこに入ることにしました。
この選択を何度後悔したかわかりませんが、おかげで就職も決まりましたし、それにたくさんの人と出会えもしましたし、今ではよかったかなって思っています。
ただ、B4の間は本当に苦痛でした。
研究室に全くと言っていいほどなじめませんでした。
初めて所属する組織というものにどうしていいのかわからず、先輩とはこれまでと同じくもともとコミュ力皆無なので全然話せないし、そもそも自信があった英語力も全く通用せず、コロナ渦の余韻も残っていたので研究室に行かない日が続いたりすると教授に文句をつけられたりして最悪でした。
同じB4の同期もいるにはいたのですが、人気のない研究室ということもあって大学の成績の悪い留年生が定員割れしているウチに押し付けられ、そもそも研究室に全然来ない人たちばかりであんまり仲良くはなれませんでした。
その中で一人すごい留学生の方もいたのですが、学部就職するということで僕が院試勉強をしているうちに研究をぱっぱと終わらせちゃって研究室に来なくなり、卒論発表の日以外特に会いませんでした。
研究室では研究の進捗を毎週ミーティングで報告するのですが、それも英語でやらされ、自分でも何言ってるのか何やってるのかわからないしで最悪でした。
一週間の中でその曜日は3年間本当に憂鬱でした。
僕の研究にはポスドク(大学の研究員)の先輩が付いてくれていたのですが、その人がなんとインドの方で、僕のつたない英語でなんとかやり取りしていました。
インドの癖の強い?英語が全然わからなくて何度も聞き返したりして迷惑もかけたと思います。
B4のうちは本当に仕事のことばかりという感じでとくに仲良くもなれなかったのですが、僕がM1になってからは少し仲良くすることができ、最後には一緒にご飯に行ったりもできました。
ただ、教授とはそこまで仲が良かったというわけでもなく、僕がM1の途中にやめていってしまいました。
僕には本当にやさしくしてくれた方だったので、研究の先輩を失ったこともあってショックでした。
B4のうちはその先輩の指導を受けつつ、研究室に行っては誰ともしゃべらず適当に研究して帰るみたいな生活を繰り返していました。
とにかくモチベーションが低かったのですが卒論もなんとか仕上げ、なんとか卒論発表もして大学を卒業できました。
同期のうち1人はその年に卒業できず、翌年卒業していましたが、もう1人はそのまま失踪していなくなりました。
なんというか本当にひどい研究室だなと思ったのを覚えています。
外国人が多いしやっぱりみんな陽キャなのかな!?
僕も陽キャになっちゃうかも!
とわくわくしていましたが、実際は真逆で、研究室も常に殺伐としていて会話が一切ない。
とにかくたくさんの人が辞めていきました。
学部を卒業するころには僕もどうしようかと迷うほどでした。
既卒で就職しようかとも思いましたが、年齢やスキル的に厳しいこともわかり、
ただ大学院入試には合格していたので、研究室をなんとかして変えれないかとも思いましたが結局何もできず、研究室に残ることになりました。
- 転機のM1,M2
院進せず就職する道も考えましたがそれが厳しいことがわかり観念して大学院に入学し、M1としてもう一度研究室生活が始まりました。
ここから私の人生が大きく変わったと思っています。
と書くとなんかやばいあれっぽいですが、別に普通です。
普通の人からすれば普通に学生生活を送ってきただけのことだと思います。
ですが、B4まで中学不登校、高校中退だったり大学入ってからもろくに友達も作れず生きてきた私にとって、そこからの生活は本当に充実したものでした。
もちろん研究室って、世にいうブラック研究室みたいなパワハラやアカハラが横行してメンタルがやられるようなこともありますし、僕の研究室もその傾向があったかもしれません。
実際研究室やめたがってますし、その後もやめたくなったことも何回かあったんですが…
ただ、それ以上に私にとって本当に最高の環境だったと今では思います。
ブログの更新がここ2年間少なかったんですが、その理由もリアルの方が本当に充実していたからで、ブログの更新に割く時間なんてほとんどなかったからなんです。
M1に入ってから人間関係が大きく変わりました。
内部進学したM1は僕一人だけだったんですが、外部進学で2人のM1が入ってきました。
一人は日本人の人で、M1のうちはそこそこ仲良くしていたんですけど、M2に入ってからはちょっと怪しい団体に入っちゃってあんまり研究室で会わなくなりました(けどなんとか卒業していました)。
ただ、M1のときの僕を支えてくれた大事な人だったので、本当に感謝しています。
もう一人は中国人留学生の方で、この人とは何度もご飯に行ったり研究室で話したり遊んだりしました。
中国人の方ですが日本語がうまくて、すごかったです。
そして新しく入ってきた後輩たちです。
外部の人間ばかりだった研究室で、貴重な内部生の後輩のB4が入ってきたわけです。
話題も通じやすいしなにより外国人ばっかりの研究室にいる貴重な日本人だったのでいっぱいくだらない話をしました。
あんまりそういうのもどうかと思うんですが、なんだかんだで同じ国の人、言語が通じる人が一番安心するんですよね、きっと。
コミュ障で気色悪い先輩で、とくに僕も優秀ってわけでもなく研究の手伝いもほとんどできなかったので、どう思われてたのか、本当に申し訳ないんですが、後輩たちもいろいろと遊んでくれました。
初めてカラオケ行ったり焼き肉行ったりボーリングしたり変わったもの食べたり…
今までろくに友達と遊んだりした経験のなかった私にとって本当に貴重な経験でした。
去年まで殺伐としていた研究室もいろんな人が入ってきて、にぎやかになりました。
留学生や海外の研究員の方との交流もたくさんありました。
一緒に出掛けたりご飯を食べに行った留学生の人たち、
英語が下手でろくに会話のできなかった僕をご飯に誘ってくれた海外研究員の方には感謝しかないです。
ハイスピード英会話についていくのに必死でしたけど楽しかったです。
大学生活で一度も呼ばれなかった僕の下の名前を唯一呼んでくれた海外研究員の方(人を名前で呼ぶ文化があるから?)
思い出しただけで泣けてきますね…
M2になってからはもちろん新しく入ってきたB4との交流もありました。
帰りの電車が一緒だったのでよく教授の愚痴を言いあいながら帰ったもんです。
同じパワハr…厳しい教授のもとで耐え抜いた留学生の先輩とも熱い友情を交わしました。
本当に本当に最高でした。
ってなんか小学生みたいな感想ですが、あんまり詳しく書きすぎるとなんかやばそうじゃないですか。
思い出は僕の心にとどめておきたいと思います!!!
肝心の研究は…自分はダメ学生でしたので特に成果も残せませんでした。
ぎりぎりの研究でしたが私にとっては卒業できればよしです。
一度だけ査読なしの国内学会で発表しただけです。
でもそれはそれで貴重な思い出ですね。
研究はダメダメだったので向こうからしたらさっさと追い出したくて仕方なくて、やっと出て行ってくれるか!とか思ったかもしれませんが、
とにかく僕にとっては今まで生きてきた人生の中で間違いなく一番充実した時間でした。
就活とかももちろんありましたがそれは別の記事に書いたのでそちらでどうぞ。
さて、月日はあっという間に流れ、ついにM2終盤、修論は先述の通りギリギリでしたがなんとか終え、発表も終え、卒業式。
卒業式は小学校以来でした。
小学校だけは不登校とかにもならず、まともに通えて卒業式も出たのを覚えています。
中学は不登校、高校は中退したので卒業式には出ず、
大学学部もB4の終わりは不登校だったし大学院進学するかもだったので出ず…
ということで久しぶりの卒業式で感動するかと思いきや、特にそんなことはなく普通でした。
よくある成績優秀者の表彰とか大学総長のスピーチとか。
あの特別感ある服とか帽子とかかっこいいですよね。
僕は久しぶりにちゃんとしたスーツを着て出ました。
太っちゃって見た目も不格好ですが、せっかくなのでなんとか様になる格好をしました。
オーケストラの演奏はいいもので、入学式では近くで聞けて感動したんですが卒業式では院生の席はステージ席で遠くあんまり感動せず…
卒業式の後は学位記を受け取って、それからなんとなく研究室に向かいました。
そこではカメラを持った博士卒業の方の親御さんが待ち構えていて、研究室のメンバーで写真を撮ることになりました。
学位記を持って研究室のメンバーととる写真は、話したこともない人もいればもちろん仲良かった人もいて、なんだか感慨深かったです。
ただよく見れば学位記に僕の生年月日が書いてあって、多浪なのがバレバレでいやですね(誰も気づくな)。
きつかった毎週の進捗ミーティングも最後には一応今までありがとうございましたというと教授のほうもいままでハードワークをありがとうみたいなことを英語で言ってました。
結局最後まで英語力には自信がありませんね。
最後だけいい人面しやがってと思いましたが、まあなんだかんだでメンタルを鍛えてくれたのでよかったかなと思いました。
そしてついに研究室最後の日になりました。
最後の日には研究室内でお別れパーティがあって、集まってピザやケーキを食べたりしました。
卒業するのは自分たちM2だけではなくて、出ていく教員もいたりD3で卒業する方もいたのでパーティの主役は教員やD3の方たちだったりして自分は目立たない場所で黙って食べてました。
が、一応就職の決まった後輩と話したり、自分の就職先の話をしたり、教員の連れてきた子供を眺めたりとかしていました。
この年になると仕事や結婚の話ばかりになってくるといいますがその通りですね…
ぼくも大人にならないとだめですね。
自分のデスクの片づけをしたりお世話になった人にあいさつしたり、そしてパーティの片づけを手伝ったりしているうちにだんだん自分がこれから出ていくんだなという感覚が湧いてきて、寂しくなりました。
いままでの人生でろくに別れというものを経験したことがなく…
普通は中学高校とかで経験してるんでしょうけど、僕は何度も書いた通りそういうのはなかったので…
ああ、この人たちとは今後もう二度と会わないかもしれないのか、いつも通っていたこの建物、この部屋とも今日でお別れかと思うと本当に悲しくて、でも人前で泣くのは嫌だったのでなんとかこらえました。
終電も近くなって、夜中まで残っていた研究室の仲間に最後の別れを告げて、研究室の建物から出て、セキュリティーカードがなくなりもう自力では入れなくなった研究室や仲間のことを考えて一人で泣きました。
家に帰ってからも大人げなく号泣してしまいました。
ほんとカスみたいな学生でごめんな~。
研究で何も成果残せないし、英語も全然しゃべれないし、コミュ障だし、使えない先輩だし、ケチだしビンボーだから一度も何か後輩におごったこともないし、でも、なかよくしてくれて本当にありがとうな~~~。
そして、4月からはついに社会人になります。
長かったです。ただでさえプラス3年しているうえ修士卒ですので、もう立派な?アラサーです。年取りたくないです。
ただここ数年で間違いなく僕は成長しました。
いろんな経験を経て、もちろんメンタル的にも?
中卒ニートがここまで来たと思えば我ながら立派なもんじゃないですか。
ただここ数日は、一応いい会社だとは思うけど、本当はブラックなんじゃないかとかいろいろ考えてしまって不安で仕方ないんです。
でも好きな業界の仕事ですし、また同じようにやっていけたらなと思います。
ブログももともと低かった更新頻度や中身がどうなるかわかりませんが、多分続けますし今後ともよろしくお願いしてほしいです。見てる人がいるんであれば!
頑張るぞ。